イジメも自由な発想ができないのも日本人は多様性がないから
周りに合わせなければいけない
僕は小中学校時代、授業を理解していても全員でペースを合わせなければいけないことにすごく疑問があった。逆に自分が解らないことも、ペースを合わせるが故に、解らないまま次へいってしまうこともあった。
後者の場合は自分の努力次第で変えられることかもしれないが、前者の場合はどうだろう。
勝手に教科書を読み進め次の段階を勉強していれば、結果授業を聞いていないのでみんなに合わせろと叱られる。体育や美術なんて言わずもがなだ。
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日本人は"多様性"を嫌う?
日本人はこうした"多様性"を嫌うように思える。
平均より上過ぎても、下過ぎてもいけない。そういう「国民性」のようなものを感じる。
周りと違うことをマイナスの要因と捉えてしまう考え方がこびりついている。
日本のあらゆる団体やコミュニティは"考え方"の統一感がすごい。まるでカルト教団のような、とまでは言い過ぎかもしれないが僕はこうした風潮に嫌悪感をおぼえる。
髪型や髪の色、ベルトや靴下の色まで指定してくる。"コレ"は"こう"だ!という固定概念に支配され周りとの違いを受け入れられないんだ。
イジメに繋がっているのではないか?
だから少し、みんなと違うところがあると「イジメ」の対象になってしまうのではないか。
もちろん"多様性"を受け入れられる国でもイジメは存在する。だが日本の場合は度が過ぎていると思う。自殺者も多い。みんなと違う自分だけど、これでいいんだ。と、思うことができず自分を責めてしまうのではないかと思う。
以前話題になった、日本のイジメがひどいのはマイノリティが少なすぎるから
というものがあったが解りやすくすごく納得ができるので読んで欲しい。
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自由な発想ができない
極端な言い方かもしれないが、"普通"であることを強いられ、その輪から飛び出すと叩かれる。
そんな環境で自由な発想が産まれるだろうか?
【育児】日本でモンスターが育たないのは土足文化じゃないからにも書いたが、日本人には自由な発想ができる人は少ない気がする。
やはりこういった思想や"常識"にとらわれていることが原因の一つではないかと、僕は思う。
他人と自分の"異"を認めることが大切
あいつは普通じゃないから嫌いだ。自分は普通じゃないからいけないんだ。
こんなふうに"異"を認めないと普通じゃないことが攻撃の対象になってしまう。
理解しろとまでは言わない。けどもっと自他を認めることが大切だと思う。
“普通じゃない"ことが"普通"であるべき、とさえ思う。
極端に書いてきてしまったかもしれないが、危険な思想を支持しているわけでないので。
もしかしたらこういう国民性のようなものは、危険な思想を持つ反乱分子よような人間を産まないためにコツコツと積み上げられてきた昔ながらの国家の考えなのかもしれない。と、ふと思ったのでした。