キャスター・安藤優子さんの認知症の母に対する考え方が素晴らしい
こんにちは。
家族の認知症は誰もが向き合わなければならなくなる時がくる可能性のある問題です。
もしも自分の家族がそうなってしまった時に、どう向き合うのか。
愛情を注いでくれた親なり、血を分けた兄弟なり、苦楽を共にした配偶者なりが認知症になってしまった時に辛くて逃げて施設に丸投げするようなことはしたくありませんよね。
そうは言っても難しい問題です。
どういう考え方で向き合ったらいいのか。
ニッポン放送の「上柳昌彦 ごごばん!」に出演したニュースキャスターの安藤優子さんの認知症の母に対する考え方が僕にとても響いたのでシェアしたいと思います。
認知症の家族がいる方、またはそうなった時のために参考にしていただければと思います。
photo credit: Dustin J McClure via photopin
安藤優子さんのエピソード
※記憶だけで書くのでニュアンスが伝わればと思います。
間違いがあればご指摘ください。
安藤さんのお母様は旦那様を亡くし、それから認知症になっていったそう。
自分の家に居たい、と施設に入れることもできずヘルパーさんも気に入らずとっかえひっかえ状態。
しかし、お母様自身、自分でできることはどんどん少なくなっていく。
そうすると、あれもできないこれもできない、と自己否定の感情ばかりが湧いてしまっておそらく脳にも悪影響だった。
そんな時「臨床美術」というものに出会う。
臨床美術とは創作活動による脳の活性化で、認知症の予防や改善を目的とし開発されたもの。
詳しくはこちら。http://www.arttherapy.gr.jp/about/
様々なやり方があるとは思いますが、例えば水を描くにあたって、本人の水から連想される思い出やイメージを描いていく、そんなイメージでしょうか。(このへんは特に記憶があいまいです)
この活動によりお母様に自分にもできたという自己肯定感が生まれ、そこには以前のような明るいお母様がいたそう。
安藤さんはこれがとても嬉しかったそうです。
安藤優子さんの考え方
そして、安藤さんはこのように仰っていました。
「よく認知症の方に、今日は何月何日?私は誰?と聞く人がいる。でも母にとって今日が何日だろうと目の前の人間が誰であろうとそんなことはどうだっていいことじゃないですか。母は朝早くからお弁当を作ったり時間に追われ何十年と苦労してきた。もう母は忘れることを許されたんです。忘れることはご褒美なんです。」
向き合い、認めるところから
僕にはこの言葉が刺さりました。
日付や誰が誰かなんてどうでもいいことだと思います。
もちろん自分のことを忘れられたらショックです。が、それは自分本位の考え方。
自分の為に大変な苦労をして、愛情をたくさん注いでくれた。そんなお母様の目線にたった考え方はとても素晴らしいと思います。
もしも、ご家族が認知症になってしまっても、向き合い、認め、接することが最大の親孝行だと思います。
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